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◇はばたき血友病情報(社会と生活)フォン・ウィルブランド病患者であり女医でもあり (見過ごれがちな同病の患者の声と同時に診る立場から)

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  • 2011.12.23

タイトル:【 遺伝性出血疾患女性-経験:女性患者としてそして治療医として 】
      ( Women with inherited bleeding disorders-experience
              as an affected woman and as a treating doctor. )
 
  著 者: Halimeh S. 

  出 典:「 Haemophilia. 2011 Jul;17 Suppl 1:31-2. doi: 10.1111/j.1365-2516.
                                     2011.02562.x.」より


  「私は1969年ドイツ、ヘレーネで産科的、婦人科的および小児科的にもなん

  の問題もなく普通に生まれました。さらに、私の父親は経験豊富な外科医です。

  2歳になるまで、何回か血腫や青あざがありました。それは深刻なものではあり

  ません。元気の良すぎる子どもの怪我という見方でした。近所のうちのひとりが

  私の母親に、子どもたちが私を叩いたので、こんなに青あざになったのかと尋ね

  たこともありました。私の両親は一度も私に対して、手をあげたことはありませ

  ん。反対に、彼らは私の想像しうるなかで最もよい両親です。

   1971年、2歳のとき、家で度をこした遊びをして唇を切ったあと、ひどく

  出血しました。傷口は私の父によって病院で縫合されました。家で一晩中、両親

  が共に唇を抑えることでようやく出血が止まりました。

   翌日、適切な治療をするよう出血原因を究明するために血液検査が行われまし

  た。その結果、「偽血友病/血管性血友病」と白血病の診断で異なるものでした。

  後者の可能性を排除するために骨髄穿刺が施行されました。

   しかしながら、このことは、第一にフォン・ウィルブランド因子濃縮製剤がま

  だ手に入らないため、私は適切な治療をうけるには有効ではありませんでした。

  次に両親が血液由来感染を恐れていて、クリオプレシピテートを使用しないと

  いうゆるぎない結論をしたのでした。

   5歳のときに幼稚園で最初の関節出血がありました。父親は(外科医として)

  圧力を除こうとして、関節穿刺を施行し、感染を避けるためにアルコール付きの

  バンドエイドを使用し、そして局所的に圧力を加えました。

   その後、何回か外傷、出血、青あざおよび関節出血がありました。私の家族と

  私は、11歳になるまで何とかしてこのような出血に対処しようとしてきました。

  そして、初潮を迎えた時、それは本当の悪夢でした。特に、母親が、持続的な重

  症出血のせいで3度目の生理で亡くなった13歳の少女(ハイドリス、初発症例)

  のフォン・ウィルブランド博士の論文を読んだためでした。

   私は、ずっと赤ちゃんのように固定されていて18日間すごしていたにもかか

  わらず、初潮後に死ぬことはありませんでした。これは、肉体的な制限があると

  いう強い心理学的な衝撃で私や両親にとって恐るべき経験でした。

   白いズボンやスカートを着て、友人や近所に遊びにいくことさえ、進行中の重

  い出血により全て制限されたのでした。

   フォン・ウィルブランド因子は1978年に製造されました。しかしながら、

  その時、私の両親はその製剤が完全に安全であると納得してはいませんでした。

   19歳になって、ハノーバーにある医学大学に通いはじめました。私の主な

  目的は、自分を助けることでしたが他の患者(主に女性)により良い治療を提供

  し、その結果として出血を減らしより良い生活の質に役に立つことでした。

   25歳の時に、婦人科医に初めて処方してもらい避妊薬を得ました。これは

  私の生理出血を18日から8日に短縮させましたが、残念なことに出血の重症度

  を低下することはありませんでした。

  
   25歳のとき、ドイツにあるミュンスター医学大学で小児学専門のレジデント

  としてスタートし、と同時に精力的に凝固疾患の領域で仕事をしました。この

  努力は3つの専門(小児学、輸血医学および血液学)で豊富な成功の経験により

  報われることとなりました。女性の問題と懸念は私の研究と臨床経験(出血診断

  および治療、妊娠中の出血、分娩出血や流産の原因となる出血が常に最も重要で

  した。

   私はフォン・ウィルブランド病や月経過多に罹患していたという事実もあって、

  患者女性のためにケアするように積極的に動き、最適な医療ケアや心理的サポー

  トを確保するために婦人科医とともに協力しています。

   こうした女性をなんとかしようとする何年かを経て、誤解や治療医の理解や

  知識不足の結果、多くの女性が未治療であることが明らかになりました。

   治療医の多くが、重症出血がある若い女性は、治療を必要とはしておらず、

  出血が時間とともに減るだろうと確信していることです。さらに、女性自身が、

  状況を過小評価しており、常に出血がひどいので正常なものとして重症期間を

  認識しています。

   このような遺伝性疾患の特徴の結果から、母親や祖母が同じ状況にあると

  可能性が高く、それゆえに重篤で出血期間が長いのです。」

 

 ※本論文では、遺伝性出血疾患(フォン・ウィルブランド病)を罹患している女性

  医師が、患者の立場側からと医師の視点から自身の経験を記述しており、これか

  ら克服すべき課題などをいくつか具体的に挙げています。

  先ず、医療関係者が女性の出血に関して理解が十分ではないことはもちろんのこ

  と、患者も他者からみれば重篤な出血と捉えるのに、患者本人にとっては、悪い

  ことが日常化し慣れてしまっていることも問題です。

  これからは患者および医療関係者とともにこの疾患に対してよく理解し、適切な

  治療をする必要があります。

  本邦にも血友病を有しながら医師をしている方がいらっしゃるので、「医師とし

  て」および「患者として」の経験を是非尋ねてみたいです。

                                             (E.M)

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