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第14回はばたきメモリアルコンサート 被害者の薬害エイズ事件の体験と思い

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  • 2018.11.26

 

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14回はばたきメモリアルコンサート 被害者の薬害エイズ事件の体験と思い
武田飛呂城
 
後半の部の開会に先立ちまして、ご来場の皆様に薬害エイズ事件のことを知っていただきたいと思いまして、私自身の個人的な体験を少しお話をさせて頂きます。
 
私は1978年に血友病をもって生まれました。非加熱濃縮血液製剤を使用して、5才から7歳のころまでにHIVに感染したと推定されています。
 
私がHIVの感染の告知を受けたのは16才、高校1年生の時でした。高校生と言えば将来のことを考える時期です。ただ当時HIVの薬はほとんど開発をされておらず、文字通りHIVは死の病、HIVに感染をすると後々エイズを発症して亡くなっていく、そんな時代でした。高校生の時、そんなHIVに自分が感染しているということを知らされて、私は将来のことを考えることができなくなりました。どうせすぐ死んでしまうんじゃないか、そんなに長い人生は残っていない、そんな風に考えて、学校の進路相談、進路面談が本当に苦しかったのを覚えています。
 
そして薬害エイズ事件の裁判、和解を迎えたのが1996年、私は当時、高校2年の頃でした。まだ私自身、自分自身の被害を受け止めきれておらず、どこか裁判に対しても他人事というか、あまり正面から見られないというような日々が続いていました。
 
今日お越しいただいている多くの皆様にとっては、薬害エイズ事件という言葉を聞いたときに、96年の和解の映像が思い浮かぶ方も多いと思います。ただ、私たち被害者、そして遺族にとっては、この96年の和解、そこで薬害が終わったわけではなく、その後も様々な被害に苦しめられてまいりました。
 
私自身は、2001年の頃、かなり免疫の数値が下がってしまい、CD4という免疫の数値がありますが、普通の人であれば600~800以上、だいたい200を切るといろいろと発症してくる、危ないと言われるものが、私は当時1ケタまで下がっていました。病院でも1年以上の生存は保障できないと言われ、本当にその当時も自暴自棄というか、どうせ長くない、今だけが楽しければ良い、そんな風に思っていました。
 
ただそんな時に、他の薬を使った時に心臓の不整脈を起こしました。副作用で、かなりひどい不整脈を起こして、心臓の脈が30を切るような、目の前が真っ暗になったり、真っ白になったりということを繰り返して、その時に初めていざ自分が死ぬかもしれないということを目にしたときに、それまではいつ死んでもいいというような思いを自分自身持っていたんですが、いざ死を目の前にしたときに、本当に震えるほど怖かったです。このまま目を閉じたら死んでしまうかもしれない、そんなことを思った時に、死ぬのが怖い、死ぬのが怖いと思っているうちは、前向きに生きなければいけない、そんな風に、矛盾した話かもしれませんが、そんな中で生きることの大切さを感じました。
 
その後もたくさんのことがありました。免疫はもとより、また肝臓もC型肝炎との重複感染でかなり悪くなったり、本当に生きる、死ぬということを日々繰り返していました。本当に運よく薬が間に合い、新薬が間に合い、今こうしてこの場に立っています。私自身今これまでの人生を振り返った時に、運が良かったということに尽きると思っています。新薬があと半年遅かったら、たぶん私は今この場にはいられなかったと思います。
 
また私のそばには、私を支えてくれる友達、仲間、そして家族がいました。様々な人の支えによって、今日まで生きてくることができたと思っています。
 
ただ多くの被害者、私たち被害者は700名を切ってしまいました。生存している原告、本当に様々な状況の人たちがいます。未だに肝臓の疾患で苦しんでいる人、また様々な他の病気が発症している人、そういう中でこれからの人生を生きていかなければいけない、未来を生きていかなければいけない被害者がたくさんおります。
 
私がこれまでたくさんの人に支えて頂いた御恩、これを返していくには、今ひとりで苦しんでいる被害者、その被害者たちといっしょにこれからの人生を歩んでいきたいと思っています。これから被害者の命を守ること、まずこれが一番大切なことになります。その上で、願わくば多くの被害者が生まれてきて良かったと思えるような、生きがいを持って生きていけるような、そんな人生を多くの人が歩んでいけるようにしていきたいと思っています。
 
また多くの遺族の皆様におかれましても、最愛の人を亡くされた痛み、これは癒えることはないかもしれません。ただ同じ傷、同じ痛みを背負った仲間と一緒に歩んでいくこと、未来に向かって一歩ずつ共に歩んでいけたらいいなというふうに思っています。
 
少しお時間をお借りして私のお話をさせて頂きました。様々な被害者、これからの生存を支えていくためには、本当に皆様のお力が必要です。本日こうしてたくさんの方にお越しいただけたこと、本当に心強く思っております。ぜひ今後とも変わらぬご支援を頂ければ幸いです。どうぞよろしくお願いします。
 
 
 
 
 

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