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「小児がん患者・経験者自立支援プログラムの整備」報告 4.フィンランド福祉教育調査

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  • 2012.4. 2

フィンランド福祉教育調査

関 由起子氏(埼玉大学教育学部保健学講座)



私たちは、病気の子どもたちに対する教育を中心とした様々な支援に関するフィンランドの現状を知りたいと、日本を飛び立ちました。 けれども、そこで見てきたものは、決して病気の子どもたちに対する特別な支援ではありませんでした。それは、フィンランドの全ての子どもたちに対する教育理念と先生方の情熱溢れる活動でした。
 

s0201.jpgフィンランドの教育理念

その理念とは、“将来、社会的責任を担える大人になるように、子どもたち一人一人に応じた教育を行うこと”でした。通訳の方が「フィンランドには資源がほとんどない。あるのは森と人だけ。その森も今は減ってきている」と言われました。つまり “人材は唯一の国の資源、だから子どもは国の宝。この子どもたちを立派な大人にするために、大人は一人一人のこどもに応じて様々な支援をする”という考えが国の方策として国民の間に浸透していることではないでしょうか。


多くの大人たちが一人の子どものために支援をする

フィンランドの学校では特別な支援を必要とする子どもが学級内にいた場合、その子どもには専属の支援をする大人が終日付き添っていました。

例えば、15人中に2人の特別支援教育を必要とする子どもがいたとすると、担任1名と子ども15人と支援する大人2名が教室にいるという具合です。7人いれば担任以外の大人が7名そこに存在することになります。実際、ある特別支援の学級では、子どもの人数+その子どもを支援する大人の人数+担任と、子どもより大人の人数の方が多いという状況がありました。

この光景を見たとき、私は日本で生じている学級崩壊を思い出しました。一人の担任が35-40人の子どもを一度に見るということは、その子どもたちには規律を乱さず集団行動できることが常に要求されることになります。集団行動できない特別な事情を抱えた子どもは、日本の学校においては規律を乱す「迷惑」な「大変な子」になってしまうのです。

事実、日本の教員に普通学校での病気の子どもの受け入れについて意見を聞いたところ、「一人だけ特別扱いできない」、「みんなと一緒に行動できるようになるまで治療に専念して欲しい」という意見が多数あがりました。

教育現場のマンパワー不足、そしてそのマンパワー不足を補うように子どもたちに要求されている規律正しい集団行動、これらが病気をはじめとする様々な特別な支援を必要とする子どもたちが、学校で肩身の狭い思いをしなければならない要因であると感じました。


s0202.jpg支援する者どうしの連携体制

特別支援教育を必要とする子どものために、驚くべきことに週に1回会議が開かれるそうです。参加者は、その子どもに応じて必要とする専門家であり、担任、管理職、学校保健師、臨床心理士、医師、保護者、その他必要とする専門家などです。この専門家の集まりは、どの施設でも、保育園でも、小学校でも、職業訓練学校でも、当然のように行われていました。

日本の病気の子どもへの支援状況を養護教諭たちに聞いてみたところ、第一声は「いろいろな人と連携している、子どもたちに支援をしている」と答えました。

しかし、さらに話を聞いてみると、その連携の実態は、多くが校内の「校長」、「担任」、「養護教諭」間であり、連携というよりは「連絡・報告」のようでした。

さらには、「忙しくて病気の子どもは後回し」、「教員間の連携でさえ、実はうまくいっていない」、「子どもの主治医や医療機関との連携は敷居が高くて連携できない」、「病気の子どもはおとなしいし、支援の必要性を特段感じない」、ということも語られました。

つまり日本では、病気の子どもには特別の支援が必要であることを教員が理解していない、たとえ特別な支援が必要であっても、必要な関係機関や専門職と適切な連携が行われていない、そしてその連携が行われていないことにも教員が気づいていない、という現状があると思います。


s0204.jpgフィンランドの教員の教育に対する情熱

  私は現在教育学部に所属し、多くの校長、教頭、教員、養護教諭と話す機会があります。その中で、日本の教育現場が抱える多数の問題と教育現場の閉塞感を感じることがしばしばあります。そして、教員個々人の裁量権がほとんどないことも、その閉塞感の1要因と感じます。

なにか特別なことを教育現場に依頼しようとすると、「校長の許可」、「教育委員会の許可」に阻まれ、いっこうに前に進まないことが往々にしてある、という状況を、保護者や支援団体、他の専門職(保健医療福祉職)、そして教員自身からも聞きます。

  もちろん、今回訪れたフィンランドの学校や施設は、外国人が視察に来ても大丈夫な、立派な学校なのでしょう。けれども、私たちは、管理者のみではなく、一般の職員・教員の方も大勢お会いしました。

そして、お会いした方皆々が、自分の行っている教育に誇りを持ち、堂々と外国人(私たち)にその内容を説明していたことがとても印象的でした。フィンランドにあって日本にないもの、それは一人一人の先生が持つ教育に対する情熱ではないでしょうか。

病気の子どもの支援について、日本の多くの先生方は、時間、人手、知識、資金、協力がなくてなかなか出来ない、といいます。教員個人には確かに時間も人手もお金もないかもしれないけれど、知識や技術を身につける術は当然持っている。日本にもフィンランドに負けないくらいの様々な専門知識を持った人々や、施設、制度があり、これらが協働すれば、子どもへのすばらしい支援方法が見つかるはずである。教員個人が持つ裁量の問題もあるでしょうが、その前に「問題を見いだし解決していこう」という気持ちの問題が最も大きいのではと感じました。


s0203.jpg子どもが大人を信頼する

フィンランドで、多くの大人たちが教育現場で子どもたちを支援している現状を目の前にしたとき、ある日本の、精神的にトラブルを抱えた子どもたちの特別支援教育を担当している教員の台詞を思い出しました。

その内容は、「精神的にトラブルを抱えた子どもたちは、普通学校や学級では“問題児”として同級生や教師たちに扱われてきました。辛い思いをたくさんして、人間に対する信頼をすっかり失いました。そして病院に入院し、院内学級に通うことになりました。ですので、ここでの教育は、人に対する信頼を取り戻してもらうところからはじまります。一人ぐらい信頼できる大人(先生)もいる、と思えるように、信頼してもらえるための手段を考えることが教材研究になります」というものでした。

私はこの教員の台詞を聞きながら、多くのトラブルを抱えた子どもたちが学校で、教室で孤立し、大人への不信感を募らせている状況を思い浮かべました。

フィンランドでは、トラブルを抱えた子どもたちは孤立していませんでした。多くの大人たちに守られていました。なにか支援が必要な状況に陥った場合、多くの大人たちが話し合い、そして実際に授業中も大人たちが支援してくれることを、フィンランドの子どもたちは実感して成長していくことがわかりました。


s0205.jpg今後の課題

 フィンランドの調査を終え、今、日本で何をすべきか、私には何が出来るのか、考えています。一つは、今、教員養成に携わっている身として、子どもや保護者に頼られる教員を育成することだと思いました。ある特別支援の教員が、「特別支援学校に行くという決定は、保護者や子ども自身がすることで、教員はしないで欲しい」と言っていました。

つまり、“教員サイドが、様々な特別の支援が普通学校では出来ないという理由ではじめから特別支援学校を薦めた場合、その子どもは特別支援学校でうまく適応できないことがある。特別支援学校での教育に保護者や子どもが納得し、受け入れるようになるには、最初に普通学校にて、その子に応じた様々な支援を教員が検討・実行し、その結果、特別支援学校での教育支援を保護者や子ども自身が最終的に選ぶ必要がある”ということです。

はじめから特別な支援を「出来ない」と言わない教員を育成するための教育をすることはもちろん、現職教員の「出来ない」気持ちをサポートして「出来る」にするための、研修支援や具体的な支援を提供することを、まずは目指したいと思いました。
 

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